私は肩こりがひどい。10才の頃にはすでに成熟した肩こりをお持ちであって、なぜかその頃はよく自宅のトイレで起きるひどい肩こりの痛みに悩まされていた。
どういうことかというと、たしかに、肩こりは気を張っているときに起きる。凝って凝って仕方ない。ただ、気を張っている時はそれどころではないのも確かで、凝った肩など気にしている場合ではないから放置する。どんどん凝る。どんどん凝る。放置する。どんどん凝る。
そのうち生理現象としての何かが湧き起こってくる。どうしようもないほど強い尿意などがその典型例である。目の前の用事と肩こりへ奪われていた気力が、尿意に割かれる。3つ巴の合戦が私の内側で大いに繰り広げられるが、それはやがて必ず終局に向かう。私はトイレの蓋を開ける。
私は豪快に放尿し、一瞬の快楽に浸る。しかしそれが問題である。今まで私は
- 用事
- 尿意
- 肩こり
の3者に攻められていた。だが、トイレの蓋を開けて放尿が終了した直後というのは
- 肩こり
この一点のみが猛威を振るうわけである。確かに、肩こりとは心身の緊張が一因であり、トイレタイムという憩いのひとときでは、気は緩む。だが、気が緩めば肩が急速に緩むわけではない。まあまあ凝ったままである。というか、わりとしっかり凝っていやがる。そしてやってくる。肩こり一強時代が。
放尿後に現れる真の始皇帝の存在が非常に恐ろしかった。だが、これはまだ序章に過ぎないことを、あの頃の自分は知りうるはずもなかった。続く。
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